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くるみ僕が大学で専攻している
『エコな男はモテる』論について、今日はお届けしたいと思います。

※『エコな男』と置いていますが、実際な所は『エコな女』もモテるという結論が僕の理論からは出ます。しかし紙面の関係上、今回は『エコな男』という表記、男目線での説明に終始してしまう事をお許しください。

※また、ここでは『地球環境問題』を主に二酸化炭素排出による地球温暖化に焦点を当てて話を進めます。環境問題はそれだけでない事をご理解の上、ご覧下さい。




さて、環境問題が頻繁に取り沙汰され、それに関連する言葉を見かけない日はなくなった今日この頃…。
学校教育には『環境問題』の科目や時間を設けて未来に向けて意志を育む努力がなされてきましたし、僕の通う大学にも『環境問題』のみに視点を当てた先進的な学部が存在しています。
そんな中で僕のこの『エコな男はモテる論』が取り上げられ、中央大学・東京大学あたりの法学部講師的なポジションで僕が招かれる日も近いのではないかと言う議論が活発に沸き立っています。(僕の中で。)


省エネ、エコ、自然エネルギー、バイオ燃料…環境問題を表す言葉も数限りなく僕らを取り巻いていますが、同時にそうした『エコブーム』を利用した営利目的の運動や企業が増えている事もまた事実です。
桜井さんも最近は
『小林さんとは考え方がかなり違うかもしれないけど、エコでなければならないという強迫観念のようなものに追われるのは間違っているように思う。それを企業が利用してしまうのも問題だ。』というような発言を、MUSICAか何かの雑誌でしていた事を記憶しています。ニュアンスで覚えているだけなので、詳しくは検索などしてみてください。


僕はどう考えているのかと言いますと、少し前まで…いや、今も…“企業であろうと誰であろうと、エコを利用するならどうぞどうぞ存分にしてください”というようなスタンスでいます。

だからといって『企業の便乗』に危惧を抱けない訳ではありません。
企業が『エコ』を食い物にする事によって、実際には環境に優しくない結果に繋がるものをエコとして売り出したりする…。それは重い罪だと思います。ですので僕がこう言うのは、「本当にエコなのであれば、どんなにそれを利用してくれても構わない」という意味です。



ちなみにこれは、LCA(Life Cycle Assessment)の考えに基づいています。

LCAというのを簡単に説明しますと、『環境に優しいとされる商品』が本当に環境に配慮したものなのか、その材料や製造過程や流通全てを通してどのくらいの環境負荷を与えるものなのかを総合して計算する。といったものになります。
かのap bank fes'08で導入される予定の『カーボンオフセット』も、(意味は二酸化炭素の相殺ですが)LCAと同じようなニュアンスを持っているかと思います。

少し前の例で言えば『クールビズ』なるエコキャンペーンが行われていた事は、小泉元首相が国会にクールビズファッションで出席していたあの場面からも記憶に新しいと思います。
今更説明するまでもありませんが、『クールビズ』とは服装を(涼しいものに)替える事により冷房の使用を抑えようという目的の運動です。似たように『ウォームビズ』もあります。

さてこの運動。傍目から見たら、
『暑苦しい服をちょっと変える事で冷房が節約出来るなんて、素敵じゃないの。』と思えるでしょう。
僕も、この発想(日本の季節・気候風土に全く見合わない馬鹿げた服装を脱ぎ捨て、省エネしようという。)自体は画期的な事だと考えています。
今日の本旨にも繋がる事ですが、(今やナチズムにも通じると言われるカリスマ性を備えた)小泉さんがクールビズを着てTVに取り沙汰された時も、昔からの『こうでなければならない』というアホらしい慣習を踏襲する事なく、またそれ(エコ)が『世間的に認められた』『かっこいい』行為であるという事を発信してくれた事は素晴らしい事だと思ったからです。

しかし、これをLCAの観点から見るとどうなのか。まぁこんな事は少し環境に精通した人であればとうに知っている議論ではあるはずで、僕が今更言うまでもありませんが…。

具体的な数字を出した方がいいかなと思うので出します。
『クールビズ』キャンペーンの推進によって、クールビズ関連製品(要するに衣料品)の売上がかなり好調になりました。第一生命経済研究所の発表によれば、619億円の消費支出があったという事です。
売上が伸びる事は何ら罪な事ではないように思えますが、より多くの衣料品が製造されたという事はより多くの二酸化炭素が排出されたという事を意味します。(実際に、消費者が1000円を支出す
るごとに、2.577kgのCO2が発生すると計算されています。(産業管理協会『LCA実務入門』))

クールビズによって削減された二酸化炭素量と、売上増による二酸化炭素の増加量を比較してみると、結局の所『全体として』二酸化炭素をより多く排出する結果となったのです。現在の調査から、それが明らかである事を示しておきます。


まさにこうして『全体として見る』事がLCAの考え方であり、これは実際にエコブームに便乗した企業による弊害が出てしまった例だと言えるでしょう。桜井さんの持つ懸念も、具体的にはこのような事だと思います。


LCAの考え方がいかに大切か分かっていただけた上で、それでも僕はこう主張したい。

エコを利用してもいいよ、と。

もちろん勘違いしないで欲しいのは、LCAの考え方を捨てないで全体として環境負荷の軽減に貢献したものでなければならないという事。本当の意味で『エコ』を利用してほしいと言い換えられると思います。
…というのは、企業が『エコ』を謳いたがるのも、消費者の側に環境配慮という精神が根付いた結果であるからです。つまり どうせならエコなものがいい、ってか省エネなものがいい、と思える消費者が大多数を占めているからこそ、企業は環境問題を意識した商品を作ろうと出来るのです。


やっと今日の本題に繋がる文脈が登場してきました。


『企業のエコブームへの便乗をよしとする事』
イコール、
『僕らの精神に エコはカッコいい事だ という揺るぎない常識を育成したい』という事に繋がる訳です。

『エコな男はモテる』という理論は、こうした『常識』が市民の中に完全に根付いているという前提ですので、その点では現時点で『モテる』と言い切ってしまう事には少々誤りがあります。がっかりされた方、ごめんなさい。でも大丈夫、まだ続くよ。


今まさに、そうした『常識』は人々の中に根付きつつあります。


『皆さんエコをしましょう』という啓発のポスターなどをよく見かけます。しかし、大学の教授などはあの類のものを『ほとんど何の意味もない』と言います。
確かに、漠然としたエコロジー推進ポスターやただ地球の危機についてのポスターなどは、非常に安易に実行できるエコ推進手段として利用されているでしょう。しかし、『人々の中に危機意識を持たせる事』にはささやかだけど着実な意味があると思います。
※環境への貢献度が大きいもの(環境基準設定や各種規制など)は、その政策の実現が難しい。反対に環境への利益が少ないもの(教授曰く、啓発ポスターなど)は、至って施行が容易であります。その点で「貢献は少ないけど実現が容易で国民へのポーズも成り立ちやすい」ポスターなどが、政府によって積極的に利用されているのは分かるのですが…。


いや、正確にはその文・ポスターに潜んだ『エコが出来る人間ってカッコいいよ。』というメッセージに可能性を感じるのです。
そしてこの『エコ=格好良い』という系図は、現在もある程度確立してきているのかなという気はします。


例えば、櫻井さん。
色々な批判はあるかもしれませんが、ap bankというもので環境問題へのアプローチを試みています。例えばリサイクルが本当に環境に良いのか「もやもやした気持ちを抱えながら」なんて言ってるけど、そうしたおっかなびっくりも必要だと思うし。

だから僕らは、まだそれが完全でないかもしれないこの社会の中でも声を大にして周りの人々に伝えていかなければならない。
エコな人ってモテるよね。』という概念を。


人々がエコに関心を持ち参加して行く原因は、1つにはもちろん自分達の生きる地球に対する危機感があると思います。しかし僕はここであえて誤解を恐れずに言いたい。もう1つの要因は、人間誰しもが持っている『偽善心』であろうという事を。
そうなんですよ。それは悪い意味で取られるかもしれないけど、僕らはみんな『いい事』をしたいんですよ。

ただ、そこを認識してほしいのです。偽善でもいいという事を。偽善心で動いているかもしれない自分を、他人を、許してほしい。
というより根本的に、どんな動機であっても環境に本当に貢献出来るのであればそれは責められるべきではないと思うのです。どんな動機でも。
どんな不順な動機でエコをしていたとしても、その人は実際に何もしていない人より全人類の役に立つ事が出来たんだから。例え女の子にモテたくて格好を付けてエコを(ポージングだけでは全くの無意味だが。)していても、お金が沢山欲しいからエコをしていても、地球征服をしたくてエコをしていても、そこには感謝して受け入れる土壌があって然るべきだと考えます。


僕が今日のタイトル『エコな男はモテる』とした理由はここにあります。


エコは偽善なのかもしれない。しかしそれを受け止めた上でシニカルに、そうしたアクションを起こせる自分や他人を許す事が出来る。好きになる事が出来る。
だからこそ、胸を張ってエコが出来る男は格好良いんです。全部受け止めてエコが出来る男はモテるんです。



僕は、大学へ入学した4月から『マイ箸』を使い始めました。それまでもマイ箸の存在は知っていましたけど、高校ではお弁当(普通のお箸と共に)を持って行く事がほとんどで、マイ箸の必要性がありませんでした。
しかし大学に入学して生活が一変し外出先でお箸を使う機会が増えたので、マイ箸の購入に踏み切りました。

みんなでご飯を食べる時、僕はマイ箸を使います。
『マイ箸だぞ、いいだろ?!』というような雰囲気は嫌いですが、『マイ箸を使ってる僕って格好良いよねo(^-^)o』という話をよくします。押し付けはごめんですが、僕の草の根活動のおかげなのか…何人もの友人がマイ箸を使うようになってくれた事が嬉しくて仕方ありません。友達の誕生日プレゼントにマイ箸をプレゼントしたりもします。


ここで…僕が『マイ箸』を使うようになった理由は、1つには割り箸の感触が嫌いだから・もう1つには何となく勿体無いから などが挙げられます。と同時に『偽善でも某かのエコができないか』という思いや、『マイ箸を使えるようなエコな男って絶対モテるでしょ』という確信が心にあった事を隠しはしません。
実際、マイ箸を使っていると度々女の子に(男にも)驚かれ感心されますし、話の種にもなります。


少し話が逸れますが、エコ=モテる という系図はある意味昔からの、普遍的なものだと思うんですよ。だって、《過剰包装だらけ。ゴミ撒き散らしまくり。なるべくワルを気取ってたら勝ち!!》みたいな奴と、《当たり前だけどポイ捨ても悪振りもしない。時にはゴミを拾ったりもする。どうせなら環境問題に貢献しようとする。(でなくとも、積極的に無駄を排出しようとはしない)》という人間。世間一般の女の子から見て、どちらが“格好良い”とされるのでしょうか?

もちろん、一部のDQN(不良)女子からは前者は大うけでしょう。
『私、悪い男が大好きなんだよね』と。
しかし、これは僕の周りの女の子からだけではないと信じていますが、“真面目な男”は好かれます。どう考えたって、良識があって対象物(それが環境であったり他人であったり。)に対して『優しさ』を持って接する事の出来る人間の方が、女の子は『自分の事を大切にしてくれそう』と感じるでしょう。

それを踏まえて話を少し戻しますと、僕が『エコなキャラ』を演じているとする。それに対して、嫌悪感を抱く女性は果たしてどれくらいいると思いますか?はっきりいって、あまりいないと思う。いたとしたら、僕はそういう人間と交友関係を持ちたいとは思いません。
僕は(ある意味偽善的で)エコな僕自身を肯定し それに従って行動する事によって、周りの人達の印象をちょっと良くする事が出来るのです。ちょっといい人になれる。
つまりは『モテたい』がためにエコをする事は、(人に好かれるという)結果として実る事により、肯定される訳ですね。常に正当化されているんだと思うの。
どんな動機であってもいいんです。それを認め、自分と他人を好きになれる社会でなくちゃならないような気がする。


また1つの例として。
僕の大学は環境問題に対して非常に先進的であり、それはゴミの分別やリサイクルシステムの導入などに現れています。
リサイクルシステムとは、学内で販売されるお弁当の容器を食後に分別して回収出来る仕組みです。教室の外の廊下などにパックの「回収ボックス」が設置されていて、食べ終わったら各自で容器を分別してボックスに入れることになっています。
しかし理念としては素晴らしいこのシステムも、完全に履行されているとは言い難いです。僕の大学のモラルの水準が低いと言ってしまえばそれまでですが、他の集団でも似たり寄ったりでしょう。少なくとも100%それがなされる可能性は0に近い。
だけど、僕はやる。他のチャラ男が「だりー」とか言いながら適当に燃えるゴミに投げ捨てていくその横で、時間は掛かりながらもほんのちょっとした努力で誰にでもできる「エコ」を実践してみる…。
僕はそんな僕自身が大好きだし、きっとこんなエコな僕はみんなの目にも素敵に映っているんだろうなと確信しています。

ちょっと関係ないけど、自分の事が嫌いになったその時は、何かいいことをしてみるのがいいと思います。何か嫌な事があってそれをした自分を嫌いになってしまったとしても、ちょっとがんばっていい事をしてみる。それはエコじゃなくても、人に席を譲るとかお年寄りや小さな子供や道に迷った人を助けてあげるとかゴミを拾ってみるとか、何でもいいと思うんだけど。そうすることによって、嫌いになってた「自分自身」をちょっと好きになってちょっと自信を持てるようになると思うんです。「そういう事が出来る自分が好き。」っていう風にね。(少なくとも嫌いになる人はいないと思う。)つまりは、自分のした些細な作業が誰かをちょっと幸せにして、また自分自身もちょっぴり幸せにしてるんだと思うんです。ある意味、世界を優しさが回りまわってきた結果だと、僕は思ってる。


もう一度話を戻して…。
そんな些細な生きがいや喜びを見出す事が、大切なんだと思うんです。エコをすることに少しも臆することなく、それを胸を張って「かっこいいことだ」って思いながら喜んでできる。そういう気持ちを1人1人が持つこと、そして周りに対してそれを認めるムードを醸し出していくこと。そんな些細な事が、大切だと思うんです。


今日この日記を書いた目的。それは、僕が真剣に「エコな男はモテるんだよ」と思っているという事を示したかったという事。また、(Mr.Childrenのファンをやっていてエコに興味が0という人は至極珍しいと思いますが、)これを読んでくださった皆さんに少しでもエコになってほしいと思ったから。あとは、あなたが日常生活でつまづいた時に、自分を嫌いにならないでほしいと思ったから。それと、エコのつもりでやっていたことが心ない他人から「偽善だ」「無駄だ」と否定された時に、自分や世界中のエコな人を正当化できる「イイワケ」の1つとして提供したかったから。
だからつまり、僕は大した事は言ってないんですね。だってたぶん、みんなもう知ってたと思うの。ここに書いてあったことくらい。それをまぁ今一度わざわざ確認してくれただけでも、僕はそこに喜びを見いだせます。非常に長い文章を読んでくれてどうもありがとう。
草 エコ
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